Ayumu's I/O

ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん

初期症状から治療開始までの43日間

2017年12月現在、性腺外胚細胞腫瘍(後腹膜原発)絨毛癌と闘病中です。希少がんであるがゆえ、ネット上に情報が少ないので情報を発信します。本記事では、初期症状から治療開始までの43日間について書きます。

初期症状

9/11(月) 朝、当時24歳。目が覚めると腰とお腹に痛みがあることに気が付いた。土日は家で読書やプログラミングをしていただけだったので、痛みの明確な原因がわからなかった。腰痛はいきなり起こったにしては激痛で、電車に立ち続けるのが辛いほど痛かった。一方腹痛は、お腹を下す手前のような痛みがあるものの実際に下しているわけでなく、初めて経験するタイプの痛みであった。その頃はプロジェクトが大詰めを迎えており、締め切りに追われるように仕事をしていたので、ストレスか疲れによるものと安易に判断し、湿布を腰に貼り整腸薬を飲んで様子を見ることにした。
しかし、数週間しても症状はあまりよくならなかった。通勤途中の電車で急に気持ち悪くなって途中降車したり、好きだった音楽を聴くと吐きそうになったりと、次第に体調の良し悪しの振れ幅が大きくなっていった。毎日病院の予約を入れようか悩んだが、何故か昼間は症状が落ち着いていることが多く、また、平日に仕事を休める状況でもなかったので結局病院にはいかなかった。

初診

症状発現から26日目。体重も落ち始めた僕は、平日ではなく土曜日に胃腸科内科で診てもらうことにした。紹介状なしで総合病院にいくと高くつくので、主要駅周辺にある小さな病院を選んだ。そこの医師はあまり親身ではないタイプの人で、目もあわせず、流れ作業のように僕に問診と触診をした。すると、脳がお腹の痛みを敏感に反応しているだけと告げた。そして「まだ若いから、心配しなくて大丈夫だからね。」と言い、僕に抗うつ薬を処方した。触診だけでここまでわかるものなのだろうか…。さすがにこれは誤診だろうと直感した。Googleレビューもそれなりに高かったのだが、この病院はハズレであった。ただ、今思えばこのとき医師に整腸薬や胃腸薬などそれらしき薬を処方されていたら、病気の発見はかなり遅れていたと思う。「2週間後にまた来てください。」とも言われたが、とても行く気にはなれなかった。

症状の原因

症状発現から34日目。相変わらず平日に休めない僕は、日曜日に先週とは別の消化器内科の病院へ行った。この頃の症状である、腹痛や腰痛、気持ち悪さ、吐き気、体重減少などを医師に伝え、触診で軽く痛む箇所を訴えた。これだけで終わるなら初診の医師と同じなのだが、そこの医師は「CTを撮りましょう。」と一言。日曜日にたまたま飛び込んだ小さな病院に、CTスキャンがあったことも発見が早くなった要因だった。
画像を観た医師は、あまり深刻そうな顔はせずに「腹部に7cm大の良性腫瘍がありますね。」と軽く話した。詳しく聞くと、腫瘍は良性だがサイズが大きいため、手術で摘出する可能性が高いということがわかった。手術という言葉に戸惑っていると、医師が家族に一度説明してくれるという話になり、親を呼ぶこととなった。
後日。遠方にいる母を呼んで、再度病院を訪ねた。そこでGISTという消化管間の壁にできる悪性腫瘍を疑われていることを知った。おそらく、心配させないようにするために、僕ひとりのときには敢えて言わなかったのだろう。いずれにしても、大きい病院で精密検査をする必要があるので、病院間の連結室を通じて近くの総合病院に予約を入れてもらった。

本人の知る権利

検査当日12時。親とともに総合病院へ行き、消化器科の医師と問診をした後に血液検査、尿検査、造影剤ありのCTスキャンを行った。しかし、結果が一向に出なかった。17時になった頃、看護師が僕の元へやって来て「少し別室で休憩しましょう。」と言い、中央処置室のソファーで休むこととなった。そのとき、僕は失敗したと考えていた。これはこのまま親にだけ説明されて、本当の診断結果を聞けないやつだろうなぁと。案の定、その後18時に親が迎えにやってきて「ここでは検査しきれないから、明日専門の病院で検査することになった。」と言った。

緊急入院と精密検査

翌る日の朝、専門の病院の泌尿器科を訪れた。思ったよりも空いており、診察の順番はすぐにやってきた。いざ診察室に入ると、医師は紹介状やCTスキャンの画像を見ていた。沈黙が長らく続くなか、僕は机上に置かれた紹介状の文を目で追っていた。そこには「リンパ節の転移を疑います。」「肺への転移を疑います。」と書かれていた。深刻な状態であるのは間違いなく、自分が思っていたよりも病期は進行していた。医師は多くを語らなかったが、消化器間の壁ではなく後腹膜に腫瘍があり、腫瘍の種類もいくつかあたりがついているらしかった。そして僕はそのまま緊急入院となった。
緊急入院のその日のうちに、血液検査、尿検査、心電図、CTスキャン、胸部レントゲン、生検が行われた。振り返ると生検がとても痛かったという印象しか残っていない。生検とは、腫瘍の種類を病理検査で特定するために腫瘍の一部を体内から採取することなのだが、後腹膜に腫瘍がある僕の場合は背中から針を刺してさらに腫瘍に届くまでぐーっと押し込まれる方法(針生検)で行われた。手術室のような部屋で5人もの医療スタッフに囲まれ、局所麻酔をしたにも関わらず内臓に響く鋭い痛みが計3回続いた。感覚的には筋肉注射の10倍くらいの痛みだろうか。そのときの心拍数か血圧か忘れてしまったが、180まで振れたらしい。

確定診断

病名がわかるまでの間、死ぬかもしれないという思いと戦っていた。正直に書くと、友人にLINEで病状を伝えたときは涙を堪えられなかった。本当に長い時間だったが何日か経ち、血液検査と生検の結果から確定診断を受けた。
病名は、性腺外胚細胞腫瘍(後腹膜原発)絨毛癌。10万人に1人ほどの希少がんで、好発年齢は10代から30代。後腹膜腫瘍のサイズは7.9cmほどで、リンパ節転移、最大2cmの肺転移が数十個。腫瘍マーカーであるhCGの値が82万mIU/ml(基準値:1mIU/ml以下)とかなり高く、国際的な胚細胞腫瘍のリスク分類(IGCCC分類:1997年)によれば予後不良、5年後生存率は48%とされる。予後不良という言葉は、調べると悲観的にならざるを得ない意味合いを持つが、話を聞く限りでは胚細胞腫瘍は抗がん剤による効果が高く、手堅くやれば寛解・治癒も期待できるらしい。
こうして症状発現から43日後の10/24(水)、僕は抗がん剤による治療を開始した。